町指定文化財
洛中洛外図屏風(らくちゅうらくがいずびょうぶ)
- 種別
- 絵画
- 時代
- 江戸時代
- 指定年月日
- 昭和56年3月25日指定
- 数量
- 六曲一双
- 所在地
- 南知多町大字師崎字的場83番地
- 所有者
- 延命寺
大坂の陣の折、豊臣方の御座船にあった品で、千賀志摩守が延命寺へ寄進した屏風と伝えられています。六曲一双で大きさはおのおの横355cm、縦154.5cm、京都八坂神社の祇園祭を主題に洛中洛外がことに細やかに描かれています。制作年代は、描かれている景観や寺伝などから江戸時代初期の慶長12年(1607)頃から慶長末期と考えられています。また、作者として狩野一門の絵師、土佐派の長谷川等伯の系統の絵師などが推定されています。
絵馬(えま)
- 種別
- 絵画
- 時代
- 江戸時代
- 指定年月日
- 昭和56年3月25日指定
- 数量
- 1面
- 所在地
- 南知多町大字大井字真向38番地
- 所有者
- 医王寺
享保20年(1735)江戸木舟町で米問屋をしていた大井出身の渡辺伊兵衛が医王寺へ奉納した絵馬です。大きさは縦118cm、横151cm、画題は左半分に曽曽我十郎と虎御前の櫛梳き、右半分に曽我五郎と朝比奈との草摺引きの場面を描いた歌舞伎絵です。定紋から虎は初世瀬川菊之丞または、初世瀬川菊次郎、十郎は四世市村竹之丞、五郎は二世市川団十郎、朝比奈は、初世大谷広次となります。ただし、歌舞伎年表からはこの配役での上演は見当たらないため、見立絵ではないかと考えられています。また、この絵の画師は、歌舞伎絵の大家鳥居清信です。
歌舞伎図(かぶきず)
- 種別
- 絵画
- 時代
- 江戸時代
- 指定年月日
- 昭和56年3月25日指定
- 数量
- 1幅
- 所在地
- 南知多町教育委員会
- 所有者
- 南知多町教育委員会
縦170cm、横122cmの和紙に極彩色で描かれた芝居絵で、表装して掛け軸になっています。源頼光四天王のひとりの渡辺綱に腕を切り取られた茨木童子が、綱の叔母に化け、腕を奪い返して天井から逃げる場面が描かれています。作者は、役者絵師として知られる鳥居派四代目鳥居清長で、寛政2年(1790)の作です。
絹本着色 仏涅槃図(けんぽんちゃくしょく ぶつねはんず)
- 種別
- 絵画
- 時代
- 江戸時代
- 指定年月日
- 令和元年11月1日指定
- 数量
- 1幅
- 所在地
- 南知多町大字師崎字的場83
- 所有者
- 亀翁山延命寺
旧暦2月15日、釈迦の入滅の日に営まれる涅槃会で長年用いられたものです。図柄より知多地域の他の涅槃図に影響を受けて制作されたものと推定されています。涅槃図の墨書より、作られて間もなく延命寺にもたらされたことがわかり、今日まで長く伝わってきたものです。
地蔵菩薩立像(じぞうぼさつりつぞう)
- 種別
- 彫刻
- 時代
- 鎌倉時代
- 指定年月日
- 昭和63年9月1日指定
- 数量
- 1躯
- 所在地
- 南知多町大字豊浜字鳥居37番地2
- 所有者
- 光明寺
像高78m、桧の一木造り。昭和後期の修理により、当初の美しさを取り戻しました。頭部は僧形、目は伏目、ふっくらとした頬と丸みを持った顎は穏やかな顔を表現し、整った三道はふくらみがあり時代を感じさせます。持ち物として右手に錫杖、左手には蓮台に乗った宝珠を持っています。また、衲衣は通肩で、肩から衣を腹前で止めることなく一直線に垂らされています。また、衣文の彫りは浅く簡略化されています。制作年代は、鎌倉時代と考えられます。
鋳鉄地蔵菩薩立像(ちゅうてつじぞうぼさつりつぞう)
- 種別
- 彫刻
- 時代
- 鎌倉~室町時代
- 指定年月日
- 昭和63年9月1日指定
- 数量
- 1躯
- 所在地
- 南知多町大字内海字北側1番地
- 所有者
- 全久寺
鋳鉄製の像で像高19cm、重量3.6kgの、釜地蔵ともいわれ、制作年代は、鎌倉時代後期から室町時代とされています。鋳造は、割り矧ぎでついだ跡が筋となって残っています。頭部は、僧形で、顔部分は、型崩れをしたためか、全くメリハリがなく、どのような表情をしていたか明らかではありません。肩は、なで肩で衲衣は、通肩で衣の上に袈裟を着けていたと思われます。右手は、胸前で施無畏印を念じ、左手は腹前で宝珠を持っています。作者は、大野鍛冶や尾張地方の鋳物師などが考えられています。
木造地蔵菩薩立像(もくぞうじぞうぼさつりつぞう)
- 種別
- 彫刻
- 時代
- 鎌倉時代
- 指定年月日
- 昭和63年9月1日指定
- 数量
- 1躯
- 所在地
- 南知多町大字内海字北側1番地
- 所有者
- 全久寺
像高50.5cm、檜の一木造り、鎌倉時代に制作されたと考えられています。頭部は、僧形で額には白毫が嵌め込まれ、また、顔部分は伏目で細く一文字に結んだ口、ふっくらとした頬、丸みを持った顎など、穏やかで慈悲に満ちています。右手には、錫杖をそして左手には、手に余るような大きな宝珠を持っています。衲衣は通肩、衣文の彫りは浅く形式化していて、幾分時代の新しさを感じさせます。また、衲衣の下に裳を着けている、この像の特色の一つとなっています。
円空仏善女竜王像(えんくうぶつぜんにょりゅうおうぞう)
- 種別
- 彫刻
- 時代
- 江戸時代
- 指定年月日
- 平成11年12月1日指定
- 数量
- 1躯
- 所在地
- 南知多町大字片名字稗田9番地
- 所有者
- 成願寺
円空が延宝(1673~1681)に彫った仏像といわれ、像の高さ91.6cm。正面胸のところには、宝珠を口で支えたり登り竜の体や角、髭などが衣紋の中に溶けるように彫られていて、大変見事な仏像となっています。善女竜王像とは、弘法大師空海が神泉苑で請雨修行(雨乞い)を行ったときに出現したといわれる竜の名です。こうしたことから、この像も雨乞いを行った時に祀られていたのではないかと考えらています。
円空仏薬師如来像(えんくうぶつやくしにょらいぞう)
- 種別
- 彫刻
- 時代
- 江戸時代
- 指定年月日
- 平成13年12月1日指定
- 数量
- 1躯
- 所在地
- 南知多町大字内海字中之郷12番地
- 所有者
- 如意輪寺
円空が貞享~元禄初期(1684~1689)頃に彫った仏像といわれ、像の高さ64.2cm。優しい顔と正面胸のところに彫られた薬壺とがマッチしていて、大変すがすがしい像となっています。背面には、わずかに墨書の痕跡が認められましたが、文字を読み取ることはできませんでした。頭部には梵字の「ウ」(最も勝る)の文字が書かれています。伝承では、富山の薬売りが背にしょってきたものといわれています。
観音菩薩立像・勢至菩薩立像(かんのんぼさつりつぞう・せいしぼさつりつぞう)
- 種別
- 彫刻
- 時代
- 室町時代
- 指定年月日
- 平成17年8月1日指定
- 数量
- 2躯
- 所在地
- 南知多町大字豊浜字高浜51番地
- 所有者
- 極楽寺
県文化財である阿弥陀如来立像の脇侍です。いずれも寄木造、漆箔、彫眼、榧材で、像高は、観音菩薩立像が70.6cm、勢至菩薩立像が69.8cmです。この二像は、近年まで独尊像であったと伝えられており、造像当初は別の本尊の脇侍であった可能性もありますが、当初から独尊像として祀られていたかもしれません。昭和31年に美術院で阿弥陀如来立像とともに解体修理が行なわれ、部分的に補足されて当初の像姿になったと考えられています。
西村区山車彫刻(にしむらくだしちょうこく)
- 種別
- 彫刻
- 時代
- 江戸時代
- 指定年月日
- 平成18年3月29日指定
- 数量
- 1式
- 所在地
- 南知多町大字山海字荒井
- 所有者
- 西村区
江戸時代末期の嘉永7年(1854)頃に、名古屋の彫物師・瀬川治助重光によって制作されました。彫刻は、「唐獅子牡丹」や「龍虎」「鳳凰」「麒麟」「手長足長」など25種の彫刻主題で展開されています。特に「手長足長」は、前柱として立体的に用いられていて、全国的に見ても珍しいものといわれています。この彫刻は、常時公開されていませんが、西村区の祭礼で見ることができます。
梵鐘(ぼんしょう)
- 種別
- 工芸
- 時代
- 江戸時代
- 指定年月日
- 平成10年12月1日指定
- 数量
- 1口
- 所在地
- 南知多町大字篠島字神戸219番地
- 所有者
- 正法禅寺
江戸時代初期に鋳造されたもので、総高97.0cm、口径45.1cmです。鐘身の外面は四区に分けられ、そのうちの三区に銘文が施されています。銘文には「伊勢度會郡山田庄次橋郷篠嶋村龍門山正法禅寺」「正保二乙酉年(1645)霜月」「三州大工北金屋(現豊川市)中尾作左衛門」などの文字がみられ、鋳造された時期、作者がわかるばかりでなく、この時代に篠島が伊勢神宮領の管轄下にあったことを示すものとして貴重な資料となっています。
雲版(うんばん)
- 種別
- 工芸
- 時代
- 江戸時代
- 指定年月日
- 平成10年12月1日指定
- 数量
- 1面
- 所在地
- 南知多町大字篠島字神戸219番地
- 所有者
- 正法禅寺
江戸時代初期に鋳造されたもので、高49.0cm、幅47.0cm、吊り手19.5cm、撞座径7.0cmです。身はほぼ正方形で、吊手の頭部分がはみ出した形となっています。中央下方に八葉複弁の撞座を鋳出し、その左右に銘文を陰刻しています。名文には「勢州篠嶋龍門山正法寺打版」「寛永十六乙卯年(1639)9月」「大工尾 名護屋住 藤原乗信常川太左衛門」などの文字がみられ鋳造された時期、作者がわかるばかりでなく、この時代に篠島が伊神宮領の管轄下にあったことを示すものとして、梵鐘とともに貴重な資料となっています。
大般若経(だいはんにゃきょう)
- 種別
- 書籍
- 時代
- 室町時代
- 指定年月日
- 昭和60年7月1日指定
- 数量
- 200帖
- 所在地
- 南知多町大字豊丘字本郷10番地
- 所有者
- 正法寺
大般若波羅蜜多経200巻は、永徳2年(1382)から応永11年(1404)の間に道意、礼顔など6人の僧侶によって写経されたもので、経巻の終わりにそれぞれの署名があります。また、200巻の写経の中には破損消滅したものを木版にしたと思われるものが17巻含まれています。この大般若経は「山田神明宮の法楽の御経なり」と書かれていることから、神明宮の大般若経で歴代住職が使用したものと考えられています。
寛政村絵図(かんせいむらえず)
- 種別
- 歴史資料
- 時代
- 江戸時代
- 指定年月日
- 平成10年12月1日指定
- 数量
- 2幅
- 所在地
- 南知多町大字師崎字的場83番地
- 所有者
- 延命寺
寛政4年(1792)に作成されたもので、掛け軸装の2幅です。それぞれに当時の篠島村と日間賀島村の絵図が描かれており、地図的要素以に島図の周囲には近隣の島を描き、さらに人口(男女別)や人家数、島間距離、漁獲される魚や海草などの種類も文字で書き込まれています。これまでにわかっている町内最古のものとして貴重な絵図です。もともと千賀家が所蔵していたものですが、維新後千賀家家臣であった川合家の所蔵となり、さらに野口家に伝わった後、昭和44年に延命寺に寄進されたものといわれています。
東端戎講文書(ひがしばたえびすこうもんじょ)
- 種別
- 歴史資料
- 時代
- 江戸~明治時代
- 指定年月日
- 平成16年7月1日指定
- 数量
- 文書1,495点、帳箱1点
- 所在地
- 南知多町大字内海字柴井1番地66
- 所有者
- 南知多町教育委員会
内海船の仲間組織である「戎講」に関わる文書群(文化期から明治初年が中心)とそれらを収めていた帳箱です。文書は、戎講の運営に伴い作成されたものと各地の商人から戎講に宛てられた書状類に大別できます。前者には船数を記したものや毎年7月20日に開催される参会(寄合)の記録、戎講の会計に関わるものがあり、後者には運航・取引上の問題や資金融通関係、各湊の設備や寺社に対する寄進に関わるものなどがあります。いずれも戎講の活動を追跡することのできる資料です。
内海船および船道具資料(うつみぶねおよびふなどうぐしりょう)
- 種別
- 歴史資料
- 時代
- 江戸~明治時代
- 指定年月日
- 平成16年7月1日指定
- 数量
- 船の帆桁はじめ19点
- 所在地
- 南知多町大字内海字柴井1番地66
- 所有者
- 南知多町教育委員会
江戸時代後期から明治時代の和船や船で使用された道具類です。船の部品や部材などの資料、船上での生活に関する資料、船を利用した商売に関する資料の大きく三つに分類できます。帆桁は500石積みの船のもので長さ約14mあり、当時のものとしては日本で唯一の資料といわれています。いずれも当時の和船やそれに携わる人々の姿を具体的に示すことのできる貴重なものです。
神明社貝塚出土骨角器・装身具(しんめいしゃかいづかしゅつどこっかくき・そうしんぐ)
- 種別
- 考古資料
- 時代
- 縄文~古墳時代
- 指定年月日
- 平成16年7月1日指定
- 数量
- 205点
- 所在地
- 南知多町大字内海字柴井1番地66
- 所有者
- 南知多町教育委員会
全205点あり、主に縄文時代から古墳時代にかけてのものと考えられています。神明社貝塚から出土した骨角製の漁具類は外洋性の形態をもつもの、沿岸漁業の形態をもつものなど様々な形態があり、当時の漁業形態を知るうえで貴重なものです。特に回転式離頭銛頭や擬餌針など東北から近畿・山陰地方に伝えられた道具と同種のものと推定されるものもあり、神明社貝塚出土のものは伝播ルートの中継地点を示すものとして重要と考えられています。また、ト骨や彫骨、装身具類は当時の生活風習を知るうえで貴重なものです。
北地古墳群出土漁具(きたちこふんぐんしゅつどぎょぐ)
- 種別
- 考古資料
- 時代
- 古墳時代
- 指定年月日
- 平成16年7月1日指定
- 数量
- 7点
- 所在地
- 南知多町大字内海字柴井1番地66
- 所有者
- 南知多町教育委員会
北地第4号墳、第5号墳、第6号墳から出土した鉄製の釣針2点ととダルマ形の石錘5点です。いずれもサメ漁に用いたものと推定されています。奈良時代には日間賀島をはじめ三河湾の3島の海部集団がサメ等の海産物を天皇家へ献上していたことが平城宮址出土木簡から判っています。また、日間賀島では昭和30年頃までサメ漁が行われていました。南知多町教育委員会所蔵の近世のサメ用の釣針と北地古墳群出土の釣針の形態はよく似ています。
山車からくり人形(だしからくりにんぎょう)
- 種別
- 有形民俗
- 時代
- 江戸時代
- 指定年月日
- 昭和59年1月27日指定
- 数量
- 2体
- 所在地
- 南知多町大字内海
- 所有者
- 吹越区
肩の上で倒立する小唐子(背立70cm)と柄太鼓を叩く大唐子(背立90cm)からなり、毎年の春祭り(4月第1日曜日)で演じられています。出所は、現小牧市横町で、祭りの道具を売買する入屋から購入したものとされています。作者と年代については、武田藤吉一派の作で寛政年間(1789~1801)の人形という説と、四代目玉屋庄兵衛の作で文政年間(1818~1830)という二つの説があります。
絵馬群(えまぐん)
- 種別
- 有形民俗
- 時代
- 江戸~明治時代
- 指定年月日
- 平成13月12月1日指定
- 数量
- 16面
- 所在地
- 南知多町大字豊浜
- 所有者
- 光明寺
江戸時代から明治時代までの長い年月の中で奉納された「竹に虎図」「蛸図」「源三位頼政鵺退治の図」等の16面で、薬師堂内に掛けられています。最も古いものは寛文8年(1668)の年記がある「竹に虎図」です。いずれも各時代の特徴がよくわかる絵馬群であり、美術的・民俗学的な価値が高いものです。
コウナゴすくい漁のタモ(こうなごすくいりょうのたも)
- 種別
- 有形民俗
- 時代
- 明治時代
- 指定年月日
- 平成16年7月1日指定
- 数量
- 1点
- 所在地
- 南知多町大字内海字柴井1番地66
- 所有者
- 南知多町教育委員会
明治20年代にコウナゴすくい漁に使用していたもので、長さ3.7m、網は木綿です。明治時代における知多郡のコウナゴすくい漁の記録は不明ですが、明治16年に刊行された「三重県水産図説」にコウナゴすくい漁の絵図が掲載されており、各地の聞き取り調査からも伊勢湾海域でこの漁法が操業されていたことは確かです。
山車(だし)
- 種別
- 有形民俗
- 時代
- 江戸時代
- 指定年月日
- 平成22年7月21日指定
- 数量
- 1台
- 所在地
- 南知多町大字内海字前側27番地の4
- 所有者
- 岡部区
嘉永元年(1848)頃、素木彫刻で知られる上諏訪立川流門下で上野間の中野甚右衛門重富の制作といわれています。高さ約4.5m、幅約1.5mの知多型で、全体を素木の彫刻で飾っており、「重富」の刻銘が前壇「力神」の彫刻の裏に彫られています。また、「重富」の子孫から美浜町に寄贈された文書の中に、この山車彫刻の下絵と山車新造に関する資料があり、作者・制作年代を特定できます。
からくり人形(からくりにんぎょう)
- 種別
- 有形民俗
- 指定年月日
- 平成22年7月21日指定
- 数量
- 2体
- 所在地
- 南知多町大字内海字前側27番地の4
- 所有者
- 岡部区
梅の木の上で倒立する唐子と蓮台を回す唐子との2体で、いずれも高さ約50センチ。作者は定かではありませんが、岡部区山車と同時期の嘉永元年(1848)頃に作られたものとも考えられています。蓮台上部には彩色された花の彫刻が施されています。毎年4月の第1日曜日に、内海の春祭りで上演されます。
龍江寺の廻船絵馬(りゅうこうじのかいせんえま)
- 種別
- 有形民俗
- 時代
- 江戸時代
- 指定年月日
- 平成26年8月1日指定
- 数量
- 1面
- 所在地
- 南知多町大字山海字欠ヶ前57
- 所有者
- 龍江寺
この絵馬は、江戸時代末期に荷船として活躍した内海船を描いたもので、安政6年(1859年)に海上安全を祈願して龍江寺に奉納されました。絵馬の裏面にある墨書によると、奉納したのは「松原郷 栄久丸 傳五郎」であり、この名前は内海船の同業者組合である戎講(えびすこう)の文書にも記されています。保存状態がよく、奉納者、奉納目的、奉納年月、画家の氏名等がはっきりしており、当時の内海船の状況がわかる貴重な資料です。
馬場区の山車(蛇車)(ばんばくのだし(じゃぐるま))
- 種別
- 有形民俗
- 時代
- 江戸時代
- 指定年月日
- 平成30年6月1日指定
- 数量
- 1輌
- 所在地
- 南知多町大字内海字馬場46の8
- 所有者
- 馬場区
毎年4月の第1日曜日に内海の「三郷まつり」で曳き回される馬場区の山車です。知多地方南部で多数の山車を製作した立川甚右衛門重冨が中心となり、安政6年(1859)に製作されました。甚右衛門重冨が考え出したと推定される独自の形は知多型の山車および立川流の山車彫刻の資料として大変貴重です。
大井区の山車(聖車)(おおいくのだし(ひじりしゃ))
- 種別
- 有形民俗
- 時代
- 江戸時代
- 指定年月日
- 平成30年6月1日指定
- 数量
- 1輌
- 所在地
- 南知多町大字大井字北側
- 所有者
- 大井区
毎年7月第2土曜日に、大井の夏祭りで曳き回される山車です。江戸時代後期頃に、当時大工村として有名だった現在の阿久比町横松地区の宮大工によって造られたものといわれています。江戸時代中期に建造された山車の部品を再利用して造られており、知多型の山車のルーツを探るうえで大変貴重です。
東端区のからくり人形(ひがしばたくのからくりにんぎょう)
- 種別
- 有形民俗
- 時代
- 明治時代
- 指定年月日
- 平成30年6月1日指定
- 数量
- 2体
- 所在地
- 南知多町大字内海字北向45の1
- 所有者
- 東端区
元は名古屋市緑区有松で使用されていたものを、明治中期頃に東端の松田伝次郎によって高宮神社に寄進されたものといわれています。神官と神子の姿をした2体のからくり人形は、煮立てた釜の中の湯を榊などで撒き散らして周囲を祓い清める「湯取神事」を演じます。
神楽船(しんがくぶね)
- 種別
- 有形民俗
- 時代
- 昭和12年
- 指定年月日
- 令和元年11月1日指定
- 数量
- 1艘
- 所在地
- 南知多町大字内海
- 所有者
- 西端区
毎年旧暦8月17日頃の大潮の日の満潮時に、内海西端区により行われる「神楽船まつり」で、内海川に浮かべられる船です。2艘の和船をつなげた双胴船は110個の提灯を掲げ、千歳橋と内海橋の間を航行します。
豊浜須佐おどり(とよはますさおどり)
- 種別
- 無形民俗
- 指定年月日
- 昭和58年6月1日指定
- 所在地
- 南知多町大字豊浜
- 所有者
- 古典豊浜おどり保存会
遠く元禄(1688~1704)のころから踊り継がれてきたといわれ毎年8月13日から16日まで、浜辺に組んだやぐらを中心に深夜まで踊り続けられます。「エー踊りがはじまるぞ アー音頭出しゃたのむぞ エー頼むがじょうなら 天神山から千両箱投げ出した ソレー須佐のみなとはなんからさきのはりがみえたよまことに 金だらけ須佐のみなとは金だらけ金だらけ~」
篠島の御贄干鯛調製(しのじまのおんにえほしだいちょうせい)
- 種別
- 無形民俗
- 指定年月日
- 平成25年3月21日指定
- 所在地
- 南知多町大字篠島
- 所有者
- 篠島漁業協同組合
篠島から伊勢神宮へ奉納する神饌「御贄干鯛(通称 御幣鯛・おんべだい)」の調製技術です。起源は明らかではありませんが、最も古くは建久年間(1190~1199)の記録に見られる(「皇大神宮年中行事」)ことから、遅くともこの頃には始められていたと考えられています。また一説には「千年以上続いている」とも言われています。奉納は内容を変えながらも古例に従って現在まで執り行われており、伊勢神宮の三大祭に供えるため、調製の完了した干鯛を、毎年6月・10月・12月の3度、計508尾納めています。
帝井(みかどい)
- 種別
- 史跡
- 時代
- 室町時代
- 指定年月日
- 平成元年10月1日指定
- 数量
- 1基
- 所在地
- 南知多町大字篠島字照浜16番地の1
- 所有者
- 南知多町観光協会篠島支部
延元3年(1338)後醍醐天皇の皇子、義良親王(後の後村上天皇)が東征のとき、暴風雨に遭って篠島に漂着し、滞留されたおり飲料水として使用した井泉です。間口2.5m、奥行2.0m、深さ2.0mで井泉の岩畳はかつての遺構をそのままにとどめています。水量は常に深さ1m余の水をたたえ、美しく澄んでいます。篠島に水道が引かれる昭和37年頃まで島民の飲料水として使用されていました。
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