主な展示物

※下線部にマウスのカーソルを合わせると説明が表示されます。



1階

宝久丸の模型

展示場所:千石船室

 江戸時代末期の板図を元に、 千石船
宝久丸ほうきゅうまる」を10分の1スケールで復元した模型。 元船大工・宮堂みやどう恒秋つねあき氏が 7年がかりで制作したものです。
 模型の大きさは長さ2.8m、幅0.7m、帆柱高2.4m。材料にはヒノキやクスを使用。帆も手縫いで作られています。

板図(いたず)

時 代:江戸時代末期
展示場所:千石船室

 板に描かれた船の設計図。船の完成後は表面を削り取って再利用することが多かったため、現在まで残っている板図は少ないと言われます。
 写真上部の大きな板図は、町指定文化財「内海船及び船道具資料」のうちの1点で、板面に「万延元年霜月吉日 宝久丸 天野兵左衛門」と書かれています。 上の宝久丸の模型は、この板図を元に制作されました。

船箪笥(ふなだんす)

時 代:江戸時代末期~明治時代
展示場所:千石船室

 船鑑札や金銭などの貴重品を収めました。 船に乗せるためのものであるため、難破など万が一の事態に備えて水に浮く作りをしています。
 写真の船箪笥は町指定文化財「内海船及び船道具資料」のうちの1点です。当資料館には写真以外にも数点の船箪笥が所蔵されています。

船磁石

時 代:江戸時代末期~明治時代
展示場所:千石船室

 船上で方位を確認するための道具。写真の通り、方角をあらわす十二支が反時計周りに表示されています。 これは逆針さかばりと呼ばれる日本独自の作りで、 舳先へさきに「子」の字を向けて固定すると、船の進んでいる方角を針が指し示すようになっています。
 町指定文化財「内海船及び船道具資料」のうちの1点です。

帆桁(ほげた)

時 代:江戸時代末期~明治時代
展示場所:千石船室

 帆の上端につけて帆柱に吊るすことで、帆を張った用材です。 当資料館に展示されているのは500石積みの千石船のもので、長さは約14mあります。 住田屋すみだや内田佐七家)の 船の帆桁だといわれています。
 町指定文化財「内海船及び船道具資料」のうちの1点です。

船山車(ふなだし)

時 代:明治時代~昭和時代
展示場所:船山車・学習室

 本町豊浜とよはま地区内の中洲なかずで、 祭礼の際に引き回されていた船型の山車です。 明治7年(1874)に地元の船大工 森佐左衛門・佐兵衛兄弟によって造られました。
 この山車は「お舟」と呼ばれて数年間使われましたが、 明治12年(1879)、中洲でコレラが発生し村が財政難に陥ったため、 隣の半月はんつき地区に売ることになりました。
 なお、その後お舟のなくなってしまった中洲では、祭りの添え物として動物の張子が作られるようになり、次第に鯛の形が定番化していきました。 これが現在の鯛まつりの起こりだと言われています。
 お舟は長い間半月地区で曳き回されましたが、老朽化のため郷土資料館に寄贈されました。




2階

サメ漁の釣針

時 代:昭和時代
展示場所:漁具室

 サメを釣るために用いた針。鋭い歯で食いちぎられないよう、縄の先に鎖が使われています。
 町指定文化財「北地古墳群出土漁具」の釣針(古墳時代)と比較して、 大きさ・形ともにほとんど変化のないことが見て取れます。

手あぶり

時 代:昭和時代
展示場所:漁具室

 中に炭火を入れ、冬の船上でかじかんだ手を温めるのに使用しました。 横から見た時の形が猫の顔に似ているため、ネコまたはネコヒバチとも呼ばれました。
(右の写真にカーソルを合わせると、横向きにした写真が表示されます)

箱めがね

時 代:明治~昭和時代
展示場所:漁具室

 底部にガラスがはめ込んであり、水の中をのぞくことができる道具です。カガミとも呼ばれ、ナマコ取りなど磯での漁の際に使用しました。

タコツボ

時 代:~昭和時代
展示場所:漁具室

 海底の岩穴や石の下に入り込む習性を利用してタコを捕まえるための道具で、南知多で使用していたものの多くが常滑焼です。 海底に沈めて一定時間経ってから引き上げると、中にタコがかかっているという仕組みです。
 写真のタコツボは古い形です。現在主に使われているのは、中に入ったタコが内部に仕掛けた餌に食いつくと蓋が落ちる、ネズミ捕り式のものです。

千歯こき

時 代:江戸時代~昭和時代
展示場所:農具室

 主に稲の脱穀に利用した道具です。干した後の稲の穂を、歯の部分に通すと籾が下に落ちました。 それまで脱穀にはこき箸を使っていたため、 千歯こきの登場により脱穀が格段に早くなりました。
 稲以外のものを脱穀するのにも使い、作物によっては歯を取り替えることもありました。

唐箕(とうみ)

時 代:江戸時代~昭和時代
展示場所:農具室

 籾摺もみずの後、 玄米と籾殻を分けるために使った道具です。上から籾摺り後の米を入れ、取っ手を回すことで風を起こします。 軽い籾殻や不良米は矢印の部分から出てくる仕組みになっています。籾殻と米を分けるためには、風の起こし具合にコツが必要でした。




3階

南知多観光ポスター

時 代:大正14年
展示場所:生活道具室

 「大正の広重」といわれた吉田初三郎が手がけた観光ポスターです。 夏場の海水浴場として南知多を宣伝したもので、絵の女性が手にした紙には近隣の鉄道の路線図が、 下部には南知多の鳥瞰図ちょうかんずが描かれているのが分かります。
 明治時代に療養や健康増進のため海水浴が奨励され、そのために適した土地として南知多を訪れる人が出始めました。 大正に入り、現在の知多乗合株式会社の前身である知多自動車株式会社が南知多を観光地として積極的に宣伝するようになってから、 観光地としての知名度が徐々に定着していきました。

サンドスキーの道具

時 代:戦前
展示場所:生活道具室

 本町内海地区には昭和6年ごろからサンドスキー場がありました。右の写真はその道具で、 雪上で行う通常のスキーの道具と大きな違いはありません。
 冬季、海岸から吹き上げる風のため、内海の砂浜に面した丘陵地には、砂がたまっていました。 ここで砂丘スキーを試みた人物が、名古屋のアマチュアスキークラブに内海を紹介したことが、スキー場開設のきっかけになったとされています。
 一時は観光の目玉になりましたが、戦時体制が進むにつれて海水浴場とともに規模が縮小。 スキー場の砂も鋳造型の原材料として軍需工場に運ばれ、その後サンドスキー場はなくなりました。

先苅貝塚 出土資料

時 代:縄文時代
展示場所:考古室


 先苅まずかり貝塚(内海)は現在の内海駅の地下約13メートルの地点から発見され、 東海地方最古の貝塚(約8,300年前)といわれています。 海成沖積層かいせいちゅうせきそう に覆われた状態で発見されたことから 縄文海進じょうもんかいしんを裏付け、 考古学研究の発展に大きく貢献した遺跡のひとつです。
 貝塚からは貝類、土器、石器、骨角器、獣骨、魚骨、植物遺体などが出土しており、上の写真はその一部です。
 写真の土器片は貝塚ができる以前のものと推定されており、町内最古の縄文土器の資料です。 黒い石器は「石鏃せきぞく」といい、矢の先端の部分にあたります。

林ノ峰貝塚出土 2号人骨

時 代:縄文時代
展示場所:考古室

 林ノ峰貝塚(内海)から出土した7体の人骨のうち、最も状態の良い1体。約4,000年前の男性の骨で、欠損部分がほとんどありません。
 縄文時代の成人男性の平均身長が158cm前後であるのに対し、この人骨の男性は約163cmと大きい部類に入ります。  骨や歯の磨り減り具合から、生前は神経痛に苦しめられていたであろうことが推定されています。

円面硯(えんめんけん)

時 代:奈良時代ごろ
展示場所:考古室

 長谷遺跡(片名)から、奈良時代の壺・つきこしきと共に発見された、直径約15センチの円形の硯です。
 かつてこの場所に役所や寺院等があった痕跡ではという説もありますが、詳細は分かっていません。


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