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    沿革

     南知多町は、知多半島南部に位置し、半島の先端と沖合に浮かぶ篠島・日間賀島などの島々から成っています。北部は美浜町に接し、三方が海で東に三河湾、南西は伊勢湾に面し、面積38.24kuの町です。
     東西に15.0km、南北に12.1kmで、北西部の伊勢湾側には半島最高の高峰山128mがあり北部に低く南に高い地形です。
     本町は、知多半島南部の内海町・豊浜町・師崎町・篠島村及び日間賀島村の5か町村が合併して昭和36年6月1日に誕生した町です。
     古くは、天然の入り江を利用した良港に恵まれ漁業が発達し江戸時代には、東西海上交通の要衝の地として海運業も盛んとなり町内にも多くの船主が千石船を有する程隆盛を極めました。
     農業は、昭和36年愛知用水の完成以降急速に進展し、土地改良・農地造成事業を進め生産基盤の確立を図り都市近郊農業地帯として、また漁業も生産基盤である漁港の整備に力を注ぎ計画的に進め、都市地域への生鮮な魚介類を供給する魚の町・漁業の基地として発展しています。
     また、本町は三河湾国定公園と南知多県立自然公園に指定されており、名所・旧跡・文化財・祭りなど豊富な観光資源に加え、昭和63年湧出した天然温泉の有効活用による観光PRや自然利用のレクリエーション基地、さらに平成11年11月の知多半島道路の4車線化、南知多道路の延長の完成など、四季型観光地への条件を整えつつ、歴史と詩の里として広域観光ルートの確立を目指しています。

    文化財

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    指定区分 名称 種別 時代 所在 指定年月日
    羽豆神社の社叢(しゃそう) 天然記念    師崎(羽豆神社) 昭和9年1月22日
    大蔵経(一切経) 書跡 鎌倉時代 山海(岩屋寺) 昭和14年5月27日
    金銅法具類 工芸 鎌倉時代 山海(岩屋寺) 昭和14年9月8日
    木造阿弥陀如来立像 彫刻 平安時代 豊浜(極楽寺) 昭和32年9月6日
    紺紙金字妙法蓮花経
    及び心阿弥陀経
    書跡 室町時代 師崎(羽豆神社) 昭和51年8月2日
    算額 有形民俗 江戸時代 豊浜(光明寺) 昭和50年1月31日
    算額 有形民俗 江戸時代 内海(泉蔵院) 昭和53年10月16日
    尾州廻船内海船船主内田佐七家 建造物 明治時代 内海(町) 平成20年3月25日
    洛中洛外図屏風 絵画 江戸時代 師崎(延命寺) 昭和56年3月25日
    絵馬 絵画 江戸時代 大井(医王寺) 昭和56年3月25日
    歌舞伎図(芝居絵) 絵画 江戸時代 豊浜(個人蔵) 昭和56年3月25日
    地蔵菩薩立像 彫刻 鎌倉時代 豊浜(光明寺) 昭和63年9月1日
    鋳鉄地蔵菩薩立像 彫刻 鎌倉〜室町時代 内海(全久寺) 昭和63年9月1日
    木造地蔵菩薩立像 彫刻 鎌倉時代 内海(全久寺) 昭和63年9月1日
    円空仏・善女竜王像 彫刻 江戸時代 片名(成願寺) 平成11年12月1日
    円空仏・薬師如来像 彫刻 江戸時代 内海(如意輪寺) 平成13年12月1日
    観音菩薩立像・勢至菩薩立像 彫刻 室町時代 豊浜(極楽寺) 平成17年8月1日
    西村区山車彫刻 彫刻 江戸時代 山海(西村区) 平成18年3月29日
    梵鐘 工芸 江戸時代 篠島(正法禅寺) 平成10年12月1日
    雲版 工芸 江戸時代 篠島(正法禅寺) 平成10年12月1日
    大般若経(写経) 書跡 室町時代 豊丘(正法寺) 昭和60年7月1日
    寛政村絵図 歴史資料 江戸時代 師崎(延命寺) 平成10年12月1日
    東端戎講文書 歴史資料 江戸〜明治時代 内海(町郷土資料館) 平成16年7月1日
    内海船および船道具資料 歴史資料 江戸〜明治時代 内海(町郷土資料館) 平成16年7月1日
    神明社貝塚出土骨角器・装身具 考古資料 縄文〜古墳時代 内海(町郷土資料館) 平成16年7月1日
    北地古墳群出土漁具 考古資料 古墳時代 内海(町郷土資料館) 平成16年7月1日
    山車からくり人形 有形民俗 江戸時代 内海(吹越区) 昭和59年1月27日
    絵馬群 有形民俗 江戸〜明治時代 豊浜(光明寺) 平成13年12月1日
    コウナゴすくい漁のタモ 有形民俗 明治時代 内海(町郷土資料館) 平成16年7月1日
    山車 有形民俗 江戸時代 内海(岡部区) 平成22年7月21日
    からくり人形 有形民俗    内海(岡部区) 平成22年7月21日
    龍江寺の廻船絵馬 有形民俗 江戸時代 山海(龍江寺) 平成26年8月1日
    豊浜須佐おどり 無形民俗   豊浜 昭和58年6月1日
    篠島の御贄干鯛調製 無形民俗   篠島 平成25年3月21日
    帝井(みかどい) 史跡 室町時代 篠島 平成元年10月1日
    尾州廻船内海船

    国指定

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    羽豆神社 羽豆神社の社叢
    はずじんじゃのしゃそう
    国指定 天然記念物
    昭和9年1月22日指定 数量 12,980u
    所在地 南知多町大字師崎字明神山2番地他
    所有者 羽豆神社
     指定されているのは、知多半島の最先端羽豆岬一帯で、建稲種命を祀る式内社羽豆神社の社叢です。昭和8年頃の調査によると、波打ち寄せる海岸にはハマナデシコ、ハマキケマン、ハマツナギ、ハマアカザなどが、崖にはウバメガシ、トベラ、イヌビワ、マサキなどが密生し、社叢にはウバメガシの大木がいたるところにみられ、原生林のようであったといいます。昭和34年の伊勢湾台風で大木のほとんどが倒れるなど大きな被害を受けましたが、ウバメガシを中心に回復し、イブキ、トベラ、ヤブニッケイ、モチキなどが共存する暖地性常緑樹林となっています。
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    大蔵経 大蔵経(一切経)
    だいぞうきょう(いっさいきょう)
    国指定 書籍
    昭和14年5月27日指定 数量 5,463帖
    時代 鎌倉時代
    所在地 大字山海字間草117番地
    所有者 岩屋寺
     宋の淳祐10年(1250)に刊行されたもので、宋版5,157帖と和版111帖、写本195帖、合わせて5,463帖です。経本は2帙ずつ188合の箱に納められて、欠本が少なくよく完備していることで知られています。これらは、宝徳3年(1451)9月、大野城主佐治盛光が岩屋寺へ寄進したものといわれ、宝徳三年目録2帖、目録残巻1巻、千賀重親筆書状1通、智峰筆修補大蔵経願文1通とともに国指定文化財に指定されています。
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    金銅法具類 金銅法具類
    こんどうほうぐるい
    国指定 工芸
    昭和14年9月8日指定  
    数量 五鈷杵1柄、五鈷鈴1口、金剛盤1面、
    火舎1口、花瓶2口、灑水器1口、
    塗香器1口、飲食器1口、六器6口
    時代 鎌倉時代
    所在地 大字山海字間草117番地
    所有者 岩屋寺
     寺伝によると、弘法大師が入唐のおり願って持ち帰った法具で、大同3年(808) 奥之院を開いた際の仏事に用いられたものとされています。指定されているのは、金剛盤とその上に置かれた五鈷鈴、五鈷杵、火舎(香炉)、花瓶(花を供える壺で2口)、灑水器(香水を入れる器)、塗香器(香の容器)、飲食器(食物を盛る器)、六器(水や香などを盛る鋺で6口)です。五鈷鈴の脇鈷(もり)の鋭さやそれぞれの法具にみられる端正な作りなどから、鎌倉時代の前半に制作されたものと考えられています。

    県指定

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    木造阿弥陀如来像  木造阿弥陀如来立像
    もくぞうあみだにょらいりつぞう
    県指定 彫刻
    昭和32年9月6日指定 数量  1躯
    時代 平安時代
    所在地 大字豊浜字高浜51番地
    所有者 極楽寺
    阿弥陀三尊(阿弥陀仏・観世音菩薩・勢至菩薩)の中尊で像高98cmヒノキの一木造り。白木造りのように見えるが、ところどころに漆の跡が残っていて、もとは漆の上に金箔をつけた漆箔像であったようです。頭の螺髪は細かく配慮よく整い、肉髻は高く幅も広く、面相は頬が豊かで半眼とともに優しさを示していて、美しさのなかに力強さを感じます。なで肩をおおう納衣の彫りは浅く、襟元から流れるようにさがる薄くたたんだ衣文は、股間に合流して細かい線条となります。これらの特色から藤原末期の作といわれています。
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    紺紙金字妙法蓮花経 紺紙金字妙法蓮花経
    こんしきんじみょうほうれげきょう
    県指定 書跡
    昭和51年8月2日指定 数量 9巻
    時代 室町時代
    所在地 大字師崎字明神山1番地
    所有者 羽豆神社
     応永15年(1408)4月、三河守護一色満範(道範)が、幡頭崎大明神(羽豆神社)に寄進した妙法蓮花経8巻、心阿弥陀経1巻で、同人の施入状が付いています。後世の改変はありますが、原態の推定は可能で、現存する室町時代写経の代表的な遺品であるとともに、所蔵者の移動もなく伝世し、当時の上流武士の信仰を知ることのできる貴重な資料となっています。
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    光明寺の算額 算額
    さんがく
    県指定 有形民俗
    昭和50年1月31日指定 数量  1面
    時代 江戸時代
    所在地 大字豊浜字鳥居37番地の2
    所有者 光明寺
     宝暦2年(1752)、内海中之郷村の榎本犀助章清、大岩久次郎則重の両名が「小佐の薬師堂」と呼ばれ近隣の村村に厚い信仰を得ていた東方寺(現浄土寺)へ奉納した算額といわれ、県内最古のものです。横176.7cm、縦32.3cmの杉板に野口権平治の問いに対する解答3題と自問自答1題について、図をいれて説明したものです。薬師堂の移築(昭和6年)とともに光明寺に移りました。保存状態もよく、和算の内容、系譜を知る上で貴重な資料となっています。
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    泉蔵院の算額 算額
    さんがく
    県指定 有形民俗
    昭和53年10月16日指定 数量  1面
    時代 江戸時代
    所在地 大字内海字南側69番地
    所有者 泉蔵院
     宝暦4年(1754)、内海中之郷村の榎本犀助章が泉蔵院に奉納した算額で、県内では光明寺の算額に次いで2番目に古いものです。横199cm、縦45cmの杉板に幾何学の図形4題について解答と問題の解き方が朱墨され、図形に朱を用いた跡がみられます。裏には榎戸家の系譜が記されています。江戸時代中期の和算を知る貴重な資料です。

    町指定

                   
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    尾州廻船内海船船主内田佐七家 尾州廻船内海船船主内田佐七家
    びしゅうかいせんうつみぶねふなぬしうちださしちけ
    町指定 建造物
    平成20年3月25日指定 数量  13棟
    時代 明治時代
    所在地 大字内海字南側39番地
    所有者 南知多町
     内海を代表する有力船主であった2代目内田佐七による建造物で、棟札や古図などから明治2年(1869)に竣工したことが確認できます。主屋・座敷・いんきょ・新納屋及び複数の小屋と蔵から構成されており、太平洋側に現存する廻船主の家屋の中では大規模なものです。現在土日・祝日に一般公開を行なっています。(詳細はこちら
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    洛中洛外図屏風 洛中洛外図屏風
    らくちゅうらくがいずびょうぶ
    町指定 絵画
    昭和56年3月25日指定 数量  六曲一双
    時代 江戸時代
    所在地 大字師崎字的場83番地
    所有者 延命寺
     大坂の陣の折、豊臣方の御座船にあった品で、千賀志摩守が延命寺へ寄進した屏風と伝えられています。六曲一双で大きさはおのおの横355cm、縦154.5cm、京都八坂神社の祇園祭を主題に洛中洛外がことに細やかに描かれています。制作年代は、描かれている景観や寺伝などから江戸時代初期の慶長12年(1607)頃から慶長末期と考えられています。また、作者として狩野一門の絵師、土佐派の長谷川等伯の系統の絵師などが推定されています。
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    絵馬 絵馬
    えま
    町指定 絵画
    昭和56年3月25日指定 数量 1面 
    時代 江戸時代
    所在地 大字大井字真向38番地
    所有者 医王寺
     享保20年(1735)江戸木舟町で米問屋をしていた大井出身の渡辺伊兵衛が医王寺へ奉納した絵馬です。大きさは縦118cm、横151cm、画題は左半分に曽曽我十郎と虎御前の櫛梳き、右半分に曽我五郎と朝比奈との草摺引きの場面を描いた歌舞伎絵です。定紋から虎は初世瀬川菊之丞または、初世瀬川菊次郎、十郎は四世市村竹之丞、五郎は二世市川団十郎、朝比奈は、初世大谷広次となります。ただし、歌舞伎年表からはこの配役での上演は見当たらないため、見立絵ではないかと考えられています。また、この絵の画師は、歌舞伎絵の大家鳥居清信です。
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    歌舞伎図 歌舞伎図
    かぶきず
    町指定 絵画
    昭和56年3月25日指定 数量  1幅
    時代 江戸時代
    所在地 大字豊浜字鳥居19番地
    所有者 個人蔵
     縦170cm、横122cmの和紙に極彩色で描かれた芝居絵で、表装して掛け軸になっています。源頼光四天王のひとりの渡辺綱に腕を切り取られた茨木童子が、綱の叔母に化け、腕を奪い返して天井から逃げる場面が描かれています。作者は、役者絵師として知られる鳥居派四代目鳥居清長で、寛政2年(1790)の作です。
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    地蔵菩薩立像 地蔵菩薩立像
    じぞうぼさつりつぞう
    町指定 彫刻
    昭和63年9月1日指定 数量  1躯
    時代 鎌倉時代
    所在地 大字豊浜字鳥居37番地2
    所有者 光明寺
     像高78m、桧の一木造り。昭和後期の修理により、当初の美しさを取り戻しました。頭部は僧形、目は伏目、ふっくらとした頬と丸みを持った顎は穏やかな顔を表現し、整った三道はふくらみがあり時代を感じさせます。持ち物として右手に錫杖、左手には蓮台に乗った宝珠を持っています。また、衲衣は通肩で、肩から衣を腹前で止めることなく一直線に垂らされています。また、衣文の彫りは浅く簡略化されています。制作年代は、鎌倉時代と考えられます。
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    鋳鉄地蔵菩薩立像 鋳鉄地蔵菩薩立像
    ちゅうてつじぞうぼさつりつぞう
    町指定 彫刻
    昭和63年9月1日指定 数量  1躯
    時代 鎌倉〜室町時代
    所在地 大字内海字北側1番地
    所有者 全久寺
     鋳鉄製の像で像高19cm、重量3.6kgの、釜地蔵ともいわれ、制作年代は、鎌倉時代後期から室町時代とされています。鋳造は、割り矧ぎでついだ跡が筋となって残っています。頭部は、僧形で、顔部分は、型崩れをしたためか、全くメリハリがなく、どのような表情をしていたか明らかではありません。肩は、なで肩で衲衣は、通肩で衣の上に袈裟を着けていたと思われます。右手は、胸前で施無畏印を念じ、左手は腹前で宝珠を持っています。作者は、大野鍛冶や尾張地方の鋳物師などが考えられています。
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    地蔵菩薩立像 木造地蔵菩薩立像
    もくぞうじぞうぼさつりつぞう
    町指定 彫刻
    昭和63年9月1日指定 数量  1躯
    時代 鎌倉時代
    所在地 大字内海字北側1番地
    所有者 全久寺
     像高50.5cm、檜の一木造り、鎌倉時代に制作されたと考えられています。頭部は、僧形で額には白毫が嵌め込まれ、また、顔部分は伏目で細く一文字に結んだ口、ふっくらとした頬、丸みを持った顎など、穏やかで慈悲に満ちています。右手には、錫杖をそして左手には、手に余るような大きな宝珠を持っています。衲衣は通肩、衣文の彫りは浅く形式化していて、幾分時代の新しさを感じさせます。また、衲衣の下に裳を着けている、この像の特色の一つとなっています。
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    円空仏善女竜王像 円空仏善女竜王像
    えんくうぶつぜんにょりゅうおうぞう
    町指定 彫刻
    平成11年12月1日指定 数量 1躯
    時代 江戸時代
    所在地 大字片名字稗田9番地
    所有者 成願寺
     円空が延宝(1673〜1681)に彫った仏像といわれ、像の高さ91.6cm。正面胸のところには、宝珠を口で支えたり登り竜の体や角、髭などが衣紋の中に溶けるように彫られていて、大変見事な仏像となっています。善女竜王像とは、弘法大師空海が神泉苑で請雨修行(雨乞い)を行ったときに出現したといわれる竜の名です。こうしたことから、この像も雨乞いを行った時に祀られていたのではないかと考えらています。
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    円空仏薬師如来像 円空仏薬師如来像
    えんくうぶつやくしにょらいぞう
    町指定 彫刻
    平成13年12月1日指定 数量 1躯
    時代 江戸時代
    所在地 大字内海字中之郷12番地
    所有者 如意輪寺
     円空が貞享〜元禄初期(1684〜1689)頃に彫った仏像といわれ、像の高さ64.2cm。優しい顔と正面胸のところに彫られた薬壺とがマッチしていて、大変すがすがしい像となっています。背面には、わずかに墨書の痕跡が認められましたが、文字を読み取ることはできませんでした。頭部には梵字の「ウ」(最も勝る)の文字が書かれています。伝承では、富山の薬売りが背にしょってきたものといわれています。
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    観音菩薩立像 観音菩薩立像・勢至菩薩立像
    かんのんぼさつりつぞう・せいしぼさつりつぞう
    町指定 彫刻
    平成17年8月1日指定 数量 2躯
    時代 室町時代
    所在地 大字豊浜字高浜51番地
    所有者 極楽寺
     県文化財である阿弥陀如来立像の脇侍です。いずれも寄木造、漆箔、彫眼、榧材で、像高は、観音菩薩立像が70.6cm、勢至菩薩立像が69.8cmです。この二像は、近年まで独尊像であったと伝えられており、造像当初は別の本尊の脇侍であった可能性もありますが、当初から独尊像として祀られていたかもしれません。昭和31年に美術院で阿弥陀如来立像とともに解体修理が行なわれ、部分的に補足されて当初の像姿になったと考えられています。
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    西村区山車 西村区山車彫刻
    にしむらくだしちょうこく
    町指定 彫刻
    平成18年3月29日指定 数量  1式
    時代 江戸時代
    所在地 大字山海字荒井
    所有者 西村区
     江戸時代末期の嘉永7年(1854)頃に、名古屋の彫物師・瀬川治助重光によって制作されました。彫刻は、「唐獅子牡丹」や「龍虎」「鳳凰」「麒麟」「手長足長」など25種の彫刻主題で展開されています。特に「手長足長」は、前柱として立体的に用いられていて、全国的に見ても珍しいものといわれています。この彫刻は、常時公開されていませんが、西村区の祭礼で見ることができます。   
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    梵鐘 梵鐘
    ぼんしょう
    町指定 工芸
    平成10年12月1日指定 数量  1口
    時代 江戸時代
    所在地 大字篠島字神戸219番地
    所有者 正法禅寺
     江戸時代初期に鋳造されたもので、総高97.0cm、口径45.1cmです。鐘身の外面は四区に分けられ、そのうちの三区に銘文が施されています。銘文には「伊勢度會郡山田庄次橋郷篠嶋村龍門山正法禅寺」「正保二乙酉年(1645)霜月」「三州大工北金屋(現豊川市)中尾作左衛門」などの文字がみられ、鋳造された時期、作者がわかるばかりでなく、この時代に篠島が伊勢神宮領の管轄下にあったことを示すものとして貴重な資料となっています。
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    雲版 雲版
    うんばん
    町指定 工芸
    平成10年12月1日指定 数量  1面
    時代 江戸時代
    所在地 大字篠島字神戸219番地
    所有者 正法禅寺
     江戸時代初期に鋳造されたもので、高49.0cm、幅47.0cm、吊り手19.5cm、撞座径7.0cmです。身はほぼ正方形で、吊手の頭部分がはみ出した形となっています。中央下方に八葉複弁の撞座を鋳出し、その左右に銘文を陰刻しています。名文には「勢州篠嶋龍門山正法寺打版」「寛永十六乙卯年(1639)9月」「大工尾 名護屋住 藤原乗信常川太左衛門」などの文字がみられ鋳造された時期、作者がわかるばかりでなく、この時代に篠島が伊神宮領の管轄下にあったことを示すものとして、梵鐘とともに貴重な資料となっています。
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    大般若経 大般若経
    だいはんにゃきょう
    町指定 書籍
    昭和60年7月1日指定 数量 200帖
    時代 室町時代
    所在地 大字豊丘字本郷10番地
    所有者 正法寺
     大般若波羅蜜多経200巻は、永徳2年(1382)から応永11年(1404)の間に道意、礼顔など6人の僧侶によって写経されたもので、経巻の終わりにそれぞれの署名があります。また、200巻の写経の中には破損消滅したものを木版にしたと思われるものが17巻含まれています。この大般若経は「山田神明宮の法楽の御経なり」と書かれていることから、神明宮の大般若経で歴代住職が使用したものと考えられています。
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    寛政村絵図 寛政村絵図
    かんせいむらえず
    町指定 歴史資料
    平成10年12月1日指定 数量  2幅
    時代 江戸時代
    所在地 大字師崎字的場83番地
    所有者 延命寺
     寛政4年(1792)に作成されたもので、掛け軸装の2幅です。それぞれに当時の篠島村と日間賀島村の絵図が描かれており、地図的要素以に島図の周囲には近隣の島を描き、さらに人口(男女別)や人家数、島間距離、漁獲される魚や海草などの種類も文字で書き込まれています。これまでにわかっている町内最古のものとして貴重な絵図です。もともと千賀家が所蔵していたものですが、維新後千賀家家臣であった川合家の所蔵となり、さらに野口家に伝わった後、昭和44年に延命寺に寄進されたものといわれています。
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    文政11年の船数帳 東端戎講文書
    ひがしばたえびすこうもんじょ
    町指定 歴史資料
    平成16年7月1日指定 数量  文書1,495点、帳箱1点
    時代 江戸〜明治時代
    所在地 大字内海字柴井1番地66
    所有者 南知多町教育委員会
     内海船の仲間組織である「戎講」に関わる文書群(文化期から明治初年が中心)とそれらを収めていた帳箱です。文書は、戎講の運営に伴い作成されたものと各地の商人から戎講に宛てられた書状類に大別できます。前者には船数を記したものや毎年7月20日に開催される参会(寄合)の記録、戎講の会計に関わるものがあり、後者には運航・取引上の問題や資金融通関係、各湊の設備や寺社に対する寄進に関わるものなどがあります。いずれも戎講の活動を追跡することのできる資料です。
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    富吉丸の船額 内海船および船道具資料
    うつみぶねおよびふなどうぐしりょう
    町指定 歴史資料
    平成16年7月1日指定 数量  船の帆桁はじめ19点
    時代 江戸〜明治時代
    所在地 大字内海字柴井1番地66
    所有者 南知多町教育委員会
     江戸時代後期から明治時代の和船や船で使用された道具類です。船の部品や部材などの資料、船上での生活に関する資料、船を利用した商売に関する資料の大きく三つに分類できます。帆桁は500石積みの船のもので長さ約14mあり、当時のものとしては日本で唯一の資料といわれています。いずれも当時の和船やそれに携わる人々の姿を具体的に示すことのできる貴重なものです。
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    骨角器 神明社貝塚出土骨角器・装身具
    しんめいしゃかいづかしゅつどこっかくき・そうしんぐ
    町指定 考古資料
    平成16年7月1日指定 数量  205点
    時代 縄文〜古墳時代
    所在地 大字内海字柴井1番地66
    所有者 南知多町教育委員会
     全205点あり、主に縄文時代から古墳時代にかけてのものと考えられています。神明社貝塚から出土した骨角製の漁具類は外洋性の形態をもつもの、沿岸漁業の形態をもつものなど様々な形態があり、当時の漁業形態を知るうえで貴重なものです。特に回転式離頭銛頭や擬餌針など東北から近畿・山陰地方に伝えられた道具と同種のものと推定されるものもあり、神明社貝塚出土のものは伝播ルートの中継地点を示すものとして重要と考えられています。また、ト骨や彫骨、装身具類は当時の生活風習を知るうえで貴重なものです。
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    北地第5号墳出土鉄製釣針 北地古墳群出土漁具
    きたちこふんぐんしゅつどぎょぐ
    町指定 歴史資料
    平成16年7月1日指定 数量  7点
    時代 古墳時代
    所在地 大字内海字柴井1番地66
    所有者 南知多町教育委員会
     北地第4号墳、第5号墳、第6号墳から出土した鉄製の釣針2点ととダルマ形の石錘5点です。いずれもサメ漁に用いたものと推定されています。奈良時代には日間賀島をはじめ三河湾の3島の海部集団がサメ等の海産物を天皇家へ献上していたことが平城宮址出土木簡から判っています。また、日間賀島では昭和30年頃までサメ漁が行われていました。現在南知多町郷土資料館に収蔵されている近世のサメ用の釣針と北地古墳群出土の釣針の形態はよく似ています。
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    山車からくり人形 山車からくり人形
    だしからくりにんぎょう
    町指定 有形民俗
    昭和59年1月27日指定 数量 2体
    時代 江戸時代
    所在地 大字内海
    所有者 吹越区
     肩の上で倒立する小唐子(背立70cm)と柄太鼓を叩く大唐子(背立90cm)からなり、毎年の春祭り(4月第1日曜日)で演じられています。出所は、現小牧市横町で、祭りの道具を売買する入屋から購入したものとされています。作者と年代については、武田藤吉一派の作で寛政年間(1789〜1801)の人形という説と、四代目玉屋庄兵衛の作で文政年間(1818〜1830)という二つの説があります。
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    竹に虎図 絵馬群
    えまぐん
    町指定 有形民俗
    平成13月12月1日指定 数量 16面
    時代 江戸〜明治時代
    所在地 大字豊浜
    所有者 光明寺
     江戸時代から明治時代までの長い年月の中で奉納された「竹に虎図」「蛸図」「源三位頼政鵺退治の図」等の16面で、薬師堂内に掛けられています。最も古いものは寛文8年(1668)の年記がある「竹に虎図」です。いずれも各時代の特徴がよくわかる絵馬群であり、美術的・民俗学的な価値が高いものです。
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    コウナゴすくい漁のタモ コウナゴすくい漁のタモ
    こうなごすくいりょうのたも
    町指定 有形民俗
    平成16年7月1日指定 数量  1点
    時代 明治時代
    所在地 大字内海字柴井1番地66
    所有者 南知多町教育委員会
     明治20年代にコウナゴすくい漁に使用していたもので、長さ3.7m、網は木綿です。明治時代における知多郡のコウナゴすくい漁の記録は不明ですが、明治16年に刊行された「三重県水産図説」にコウナゴすくい漁の絵図が掲載されており、各地の聞き取り調査からも伊勢湾海域でこの漁法が操業されていたことは確かです。
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    岡部区山車 山車
    だし
    町指定 有形民俗
    平成22年7月21日指定 数量  1台
    時代 江戸時代
    所在地 大字内海字前側27番地の4
    所有者 岡部区
     嘉永元年(1848)頃、素木彫刻で知られる上諏訪立川流門下で上野間の中野甚右衛門重富の制作といわれています。高さ約4.5m、幅約1.5mの知多型で、全体を素木の彫刻で飾っており、「重富」の刻銘が前壇「力神」の彫刻の裏に彫られています。また、「重富」の子孫から美浜町に寄贈された文書の中に、この山車彫刻の下絵と山車新造に関する資料があり、作者・制作年代を特定できます。
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    からくり人形 からくり人形
    からくりにんぎょう
    町指定 有形民俗
    平成22年7月21日指定 数量  2体
    時代   
    所在地 大字内海字前側27番地の4
    所有者 岡部区
     梅の木の上で倒立する唐子と蓮台を回す唐子との2体で、いずれも高さ約50センチ。作者は定かではありませんが、岡部区山車と同時期の嘉永元年(1848)頃に作られたものとも考えられています。蓮台上部には彩色された花の彫刻が施されています。毎年4月の第1日曜日に、内海の春祭りで上演されます。
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    龍江寺の廻船絵馬 龍江寺の廻船絵馬
    りゅうこうじのかいせんえま
    町指定 有形民俗
    平成26年8月1日指定 数量  1面
    時代 江戸時代
    所在地 大字山海字欠ヶ前57
    所有者 龍江寺
     この絵馬は、江戸時代末期に荷船として活躍した内海船を描いたもので、安政6年(1859年)に海上安全を祈願して龍江寺に奉納されました。絵馬の裏面にある墨書によると、奉納したのは「松原郷 栄久丸 傳五郎」であり、この名前は内海船の同業者組合である戎講(えびすこう)の文書にも記されています。保存状態がよく、奉納者、奉納目的、奉納年月、画家の氏名等がはっきりしており、当時の内海船の状況がわかる貴重な資料です。
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    豊浜須佐おどり 豊浜須佐おどり
    とよはますさおどり
    町指定 無形民俗
    昭和58年6月1日指定
    所在地 大字豊浜
    所有者 古典豊浜おどり保存会
     遠く元禄(1688〜1704)のころから踊り継がれてきたといわれ毎年8月13日から16日まで、浜辺に組んだやぐらを中心に深夜まで踊り続けられます。「エー踊りがはじまるぞ  アー音頭出しゃたのむぞ  エー頼むがじょうなら 天神山から千両箱投げ出した ソレー須佐のみなとはなんからさきのはりがみえたよまことに 金だらけ須佐のみなとは金だらけ金だらけ〜 」
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    篠島の御贄干鯛調製 篠島の御贄干鯛調製
    しのじまのおんにえほしだいちょうせい
    町指定 無形民俗
    平成25年3月21日指定
    所在地 大字篠島
    所有者 篠島漁業協同組合
     篠島から伊勢神宮へ奉納する神饌「御贄干鯛(通称 御幣鯛・おんべだい)」の調製技術です。起源は明らかではありませんが、最も古くは建久年間(1190〜1199)の記録に見られる(「皇大神宮年中行事」)ことから、遅くともこの頃には始められていたと考えられています。また一説には「千年以上続いている」とも言われています。奉納は内容を変えながらも古例に従って現在まで執り行われており、伊勢神宮の三大祭に供えるため、調製の完了した干鯛を、毎年6月・10月・12月の3度、計508尾納めています。
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    帝井 帝井
    みかどい
    町指定 史跡
    平成元年10月1日指定 数量  1基
    時代 室町時代
    所在地 大字篠島字照浜16番地の1
    所有者 町観光協会篠島支部
     延元3年(1338)後醍醐天皇の皇子、義良親王(後の後村上天皇)が東征のとき、暴風雨に遭って篠島に漂着し、滞留されたおり飲料水として使用した井泉です。間口2.5m、奥行2.0m、深さ2.0mで井泉の岩畳はかつての遺構をそのままにとどめています。水量は常に深さ1m余の水をたたえ、美しく澄んでいます。篠島に水道が引かれる昭和37年頃まで島民の飲料水として使用されていました。
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    龍江寺の絵馬宝久丸の模型(1/10)
     江戸時代後期から明治時代にかけて、尾張国の知多半島を拠点として、菱垣廻船や樽廻船の間を縫うように瀬戸内〜伊勢湾・江戸、上方〜伊勢湾・江戸、あるいは、伊勢湾〜江戸で活躍した廻船集団がありました。これを尾州廻船といいます。
     尾州廻船には、地元の知多半島にはほとんど立ち寄らず、主に上方・中部・江戸方面を直接結んで活動した買積中心の廻船集団と、知多半島の産業と密着し、特産物の運賃積み中心の廻船集団の二つのタイプがあります。
     内海船は、前者のタイプに属し、内海を中心として南知多町の各地に船主がいました。そして、19世紀には樽廻船とほぼ同数の廻船を有し、尾州廻船中の最大勢力であったといわれています。有力な船主として内海の前野家、中村家、内田家、日比家、角家、中洲浦の大岩家、天野家などがあげられます。
     内海船は、兵庫方面で西国産米や松前産魚肥を、伊勢湾岸で伊勢・濃尾・三河産米を、江戸・神奈川で九十九里産魚肥や東北・関東産大豆をそれぞれ買い付けて積み込み、米を江戸・神奈川方面に、そして魚肥・大豆を伊勢湾方面に運んで売り込みました。このように、積荷を自己荷物として買い取り、輸送先でそれを売却して利益をあげる形態を買積みといいます。買積みは、地域間物価の水準の違いが利益の源泉となるため、例えば飢饉や戦乱などは、大きな利益獲得のチャンスとなりますが、逆に読みを間違えれば大損害を被ることもあります。また、荷主と船主は同一ですので、難破事故による損害は、船体と積荷の両方に及ぶ膨大なものとなります。こういった点で買積み方式は、ハイリスク・ハイリターンの営業形態であったといえます。
     また、内海船の船持ちたちは、他国の商人に対抗したり、仲間内の秩序を保つため「戎講」という組織を結成しました。そして、仲間の結束を図るとともに、各地の物価の情報交換を行い、仲買商人との交渉の窓口となり、振興流通勢力としての信用の獲得と取引環境整備に努めていました。戎講に加入していた船は、文化13年(1816)には87艘でしたが、文政10年(1827)には110艘になりました。以後、約80〜90艘の間で推移し、慶応3年(1867)には73艘であったことが記録に残っています。
     これほど繁栄した内海船も、明治時代の鉄道の整備により衰退していきました。
      内海船の船主たちは、江戸時代の中期に瀬戸内で発展した「弁財船(べざいせん)」という船を採用しました。一般に「千石船(せんごくぶね)」と呼ばれているものです。
     弁財船は、櫓走をやめ、帆走に徹したことにより、漕ぐための人手を2分の1に、場合によっては5分の1まで減らすことができました。きわめて経済性の高い船であったのです。
     また、丈夫で軽い木綿帆(もめんぼ)を採用し、多少の向い風にも逆らっても走れる操船術を編み出しました。
     弁財船の乗組員は、船頭(せんどう=船長)、親父(おやじ=水主長)、賄(まかない=事務長)、表仕(おもてし=航海士)、舵取(かじとり=操舵手)、水主(かこ=水夫)などの職務について船を動かしていました。お寺などに奉納されている船絵馬には、その乗組員の姿が描かれているものもあります。船絵馬などをご覧になるときにその乗組員の姿を探してみるのも面白いものです。
     南知多町郷土資料館には、内海船に関連した多くの資料が収蔵されています。そして、それらのうち、内海船の10分の1の模型、板図(船の設計図)、船玉様、船箪笥、船徳利、炊きこんろ、船磁石など船上で使用した道具類、古文書のほか、500石積程度の弁財船の帆桁を展示しています。
     10分の1の模型は、国内でも有数の模型で、中洲(南知多町大字豊浜)の船「宝久丸」の板図をもとに、船大工であった宮堂恒秋さん(南知多町大字豊浜在住)に7年かけて製作していただいたものです。宝久丸は、792石積の船と考えられており、模型の総長2.8m、高さ2.2mです。帆の上げ下げはもちろんのこと、船の戸の開け閉めもできるようになっており、細部にわたり実物そっくりに作られています。また、帆桁は、国内に現存する唯一のものです。長さが約14mもあり、近くでみると弁財船がいかに大きかったのかを実感していただけるものと思います。

      《参考資料》
      永原慶二・斎藤善之監修『伊勢湾・港と船の歴史』運輸省第五港湾建設局 1994。
      山下清「千石船について」『みなみ』第40号 南知多郷土研究会 1985。
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